英語が身につく、ということ

英語学習についていうとたぶん - finalventの日記

英語学習についていうとたぶん、それが習得達成された状態を具体的に実感できないからではないかな。

以前イスタンブルでたぶんクルド人の子どもが靴を磨かせてくれとたどたどしく英語でいうので、じゃというと、いろいろたどたどしく英語で話しかけてきて、それからグランバザールを案内するとまで言っていた。あれはそれで儲かるからだし。

クサダシで働いていた子どももそれなりに訛りのつよい英語しゃべっていて、どこの国から来たかときいたらドイツだった。ドイツ人の子がトルコでバイトするんだろうか。よくわからないが。

語学は必要性がなければ身につかないんじゃないかな。

僕の場合、英語が『身についた』のは、やはりアメリカに行って英語圏で身をおいて生活を始めてからで、日本にいる限りでは僕の英語習得はダメだったと思う。

これは人によりけりなので一概には言えないが、僕の場合、留学に向けて日本でTOEFLの試験をパスし、NHKラシオ英会話やランゲージパートナーを探して必死こいて、読み書き会話を日本滞在中に伸ばそうと頑張ったが、アメリカに行って数日で日本での英語学習は僕にとってあまり意味がないものだと感じた。

もちろん単語を知ってるとか、文法が正しいという意味では、メキシコ人や他の国の留学生よりも能力的には優れているのだが、それ以外の実戦経験が圧倒的に足りない。

なんというか、文法滅茶苦茶だけど明らかに自分よりも英語力の高い他の留学生と比べると、僕は技術書の読み込みとフライトシミュレーターのプレイ経験だけで、自身を「旅客機パイロット」ですと言い張っているような空しさを覚えたりもしたものだ。

英語感覚を身につけるためのフックも人それぞれだと思う。僕の場合は、田舎だったし、日本人留学生がマイノリティの珍しい大学だったから、生活をするにも授業についていくにも、まずは活きた英語感覚を身につけないと取り残されるので必死に覚えた。時にはファストフード店で黒人やヒスパニックの店員にピザやハンバーガーを注文しなければならないし、生活しているといろいろとトラブルにも巻き込まれるし、好きな女の子に話しかけたいなと思ったりもする。そういう時に実践的な英語能力を身につけないと、僕の人生はこれからもつまらんままだなと思ったのが、僕が英語が使えるようになったきっかけ。