J1 第27節 千葉vs山形 1−2 (フクアリ)

結果は1点差。でも、内容は山形の完勝だった。

古橋と長谷川の怖さ


「古橋がいたらな・・」。
先月、川崎戦の帰り道を共にした山形サポの知人は、古橋と長谷川が揃えれば可能性があるチームになったのだけれど、と、その日怪我で不在だった古橋の欠場に唇を噛んだ。


長谷川も古橋も共に前線でタメを作ることがプレイヤーだ。高さがある長谷川は縦横に動いてスペースを作り、古橋は9.5番として、シュート以外にもチャンスメイクができる。

今日のゲームでタイプが異なる二人が前線に揃ったことで、千葉のディフェンスにプレッシャーを掛ける。ラインを上げられない千葉の守備に対し二人が前線に張ることで、中盤とDFのギャップに山形の選手が侵入。2得点とも一度FWを経由した速いパス回しから。堅守速攻と山形からすれば理想的なゲームだった。

リスクを取るか。リスクを除くか。


山形が狙い通りのゲームを行った一方、千葉はチームとしての戦い方が見えなかった。得点機に見えたのはミシェウのゴールシーンと、右サイドからの坂本のアーリークロスのみ。前線に巻、ネット・バイアーノと高さのあるFWを置いたが、放り込むボールの精度が低すぎた。


今、言うのは後だしジャンケンみたいで気が引けるが、イビチャ、アマルのオシム親子と、ミラーのチーム作りの考え方はベクトルが逆だった。簡単に言うと、勝負を制するためにリスクテイクやギャンブルを行うことを厭わないオシムと、自分のチームが劣勢である前提に立ち、まずは強固な守備ブロックを作って、リスクヘッジを行うミラー。
オシムからミラーの間には主力選手の大量離脱があり、クゼ就任および解任などのチームのごたごたがあり、ミラーが就任した時点でリスクヘッジへと舵を切ったのはそれなりに理解はできるが、同時にそれはオシム時代への決別となってしまった。


この日、全く運動量も連動性もなく、前線で孤軍奮闘する巻やネット・バイアーノのサポートにも向かわない千葉の選手を見て、絶望的な気分になった。オシム時代は選手の能力をカバーする形で豊富な運動量と連動性があった。ゲームが劣勢なときは、目の前の相手選手のマーキングを解いて、後方から攻撃に参加するチーム全体の躍動感と勇気があった。

今のチームにはもはやオシム時代の面影はない。さらにミラーが残してくれた遺産であるはずの堅い守備ブロックも壊れつつある。


組織が負のスパイラルに陥ったとき、立ち戻るべき約束事や原点があるはずだ。千葉にとって、それは一体どこなのだろう。